「善人」のつもり
最近こどもの学校の校長先生から、いわれなき失礼な発言があり凹んでおりました。
先生は事の「さわり」だけを耳にし、全体像を聞かぬまま「どうせこういう事」で「どうせこういう親」だろうとの先入観を元に、もともとの攻撃的な性格もあいまって、、という事のようです。
最終的に誤解は解けましたが、失礼を詫びる事はなく、横柄な態度をつらぬいていらっしゃいました。
皆から尊敬される立場である校長先生ともあろう方がどうしてそうなってしまわれたのだろう、と考えていたら、思わぬ学びの場になったので記します。
自分を「善人」だと信じこむ事が大きな障害なのではないでしょうか。
まじめにやってきて、まっとうな仕事につき、働いてそれなりの地位につき、犯罪を犯すこともなく(あたりまえ)、頼りにしてくれる人たちもいる、、自分が間違っているはずはない。
そんな強すぎる思い込みが、真実をみつける芽を摘んだり、傲慢な態度を生み出しているのかもしれません。
この、善人だと思う理由を考えると殆どの人にあてはまるので、皆が善人ということになり、そうなるとどっちが正しい間違っているということ自体が無用なのかも。
ここで、あることに気が付き、本当に反省しました。
私も、子育てをしながら「あそこの親はどうしてこんな当たり前のことがちゃんとわからないのだろう」とか、「うちは被害者なのに、、」なんて考えては、脳内にストレスを溜めまくっていたのです。
これは自分が「善人」で相手が「悪者」という考えがもとになっているのでしょう。
「お互い、子育てに悩む親同士」という広い心をもって、相手の「正義」にも耳を傾ける事ができたら、、それほどストレスを感じずに子育てができたかもしれません。
この事に今更ながら気が付けたことが、本当にうれしいです。
校長先生との一件は良い出来事ではないけれど、お蔭で一生ものの「気づき」に出会えました。
他の皆さんにはすでに当たり前のことかもしれませんね。
今日から「善人」ではなく「未熟者」で行こうと思います。
おかげで少し心の広い人間になれそうな気がしてきました。