シンプリストのワードローブ
昔から洋服が好きで流行りにのってはあれこれ色々なデザインを試してきました。
「年をとるとかわいい服が着られなくなるのでは」と恐れていましたが、40代になった今、自分の好きなものや似合うものがわかるようになったことで、洋服に振り回されることがなくなりました。
嬉しいです。
転職し、半分は家で働く事になったこともあり、夏から秋にかけて改めてクローゼット内の断捨離に取り組んでいました。
まずは着古したお洋服や、最近来ていない洋服をリサイクルに。
ここ1、2年、毎シーズンやっていた断捨離ですが、今回は大きいゴミ袋5つ分ほどの衣類やカバン類が。新たに購入はほぼしていなかったので、物へのお別れができるようになってきたという事でしょうか。以前捨てられなかったかつてのお気に入りたちも、今着ていないものにはすんなりとお別れが出来るようになりました。物への執着が無くなってくると気持ちが軽くなりますね。
そして、あこがれのプチ制服化に取り組んでみようと、この秋・冬・春にかけて、メインで着る3着のシャツワンピースを無印にて色柄違いで購入しました。毎日これで回しています。
↓こういうのです(写真は無印良品のサイトから借用)
ボトムスには細身ジーンズや白いコットンパンツ、またはタイツを合わせています。
スニーカー、ブーツ、パンプスと靴を変えたり、上にロングカーディガンを合わせたり、大きめのストールやジャケットを羽織るなど、日々楽しめます。
**普段着用している洋服や靴たち**
シャツワンピx3
ジーンズx2(同じものを洗い替えで)
白いコットンパンツ(厚手なので冬もいけるかな)
カーディガン(肩にかけたり、腰に巻いたり結構重宝します)
ロングカーディガン(ショート丈と違って着る以外の活用が出来ないですね)
黒タイツx2
紺タイツx1
キルティングジャケット(もう少し寒くなったらダウンを投入します)
大判ストール
ジョギング用スニーカー
コンバースのハイカット
コーデュロイのスリッポン
フラットな革ブーツ(ミドル丈)
二カ月間これだけで十分楽しめました。それなら着ていない他の服たちは皆手放せるんじゃないの!?と一日何度も葛藤しています。
仕事は在宅またはカジュアルで大丈夫なのですが、何かの際にちょっとこじゃれた外出着も必要になるかも、と、とってある服が結構ありまして。。
家や家周りで過ごす時間が幸せなので『ちょっとこじゃれた外出』がしたいわけでもないのに。。。
やっぱり近いうち見直そうと思います。
子育ての環境は選ぶべき
子育てをしていると、これまで接点のなかったタイプの人たちや問題に遭遇し戸惑いを感じることも多くあります。母親づきあいにぐったり疲れてしまい、今では仲良くさせてもらう方は慎重に選ぶようにさせてもらいました。というか、ママ友なるものは基本持たないようにしています。
大人ルールでいうと、いきなり人さまに暴力を振えば犯罪。子供の世界はもっと複雑です。度を過ぎた暴力も、言葉での攻撃も、卑劣な意地悪も、、親の対応はそれぞれ。
以前息子が所属していたスポーツチームでは「男の子なんだから、やられたらやり返せばよい」と言って自分の子が暴力を振るっていても何も対処しようとしない親御さんたちが数名いました。詳細も聞かずに「目には目を」と言った発言にも驚いてしまいます。
しかも、暴力を振るう側の親が、やり返さなかった相手を指して「やり返せばいいのに、それをしない子が悪い」と言った態度です。
やり返されて我が子が痛い目に合うと、今度は陰で悪口を言いたい放題。
関係のない人を味方にしようと必死で悪口大会を開きます。
人間性を疑いたくなるような光景が繰り広げられていました。
モラルの低い環境から抜け出し、他のスポーツを選びました。
今所属している武道の団体には、モラルある親御さんたちやコーチばかりです。やはり環境は選ばなければいけませんね。
ところで、今暴力を肯定しているご家庭では、数年後、中学生や高校生になったとき、なんと教えるのでしょう。突然親に「暴力はやめろ」と言われて、ご子息たちは納得がゆくのでしょうか。大人になってやってしまうと犯罪者、とても心配です。
「善人」のつもり
最近こどもの学校の校長先生から、いわれなき失礼な発言があり凹んでおりました。
先生は事の「さわり」だけを耳にし、全体像を聞かぬまま「どうせこういう事」で「どうせこういう親」だろうとの先入観を元に、もともとの攻撃的な性格もあいまって、、という事のようです。
最終的に誤解は解けましたが、失礼を詫びる事はなく、横柄な態度をつらぬいていらっしゃいました。
皆から尊敬される立場である校長先生ともあろう方がどうしてそうなってしまわれたのだろう、と考えていたら、思わぬ学びの場になったので記します。
自分を「善人」だと信じこむ事が大きな障害なのではないでしょうか。
まじめにやってきて、まっとうな仕事につき、働いてそれなりの地位につき、犯罪を犯すこともなく(あたりまえ)、頼りにしてくれる人たちもいる、、自分が間違っているはずはない。
そんな強すぎる思い込みが、真実をみつける芽を摘んだり、傲慢な態度を生み出しているのかもしれません。
この、善人だと思う理由を考えると殆どの人にあてはまるので、皆が善人ということになり、そうなるとどっちが正しい間違っているということ自体が無用なのかも。
ここで、あることに気が付き、本当に反省しました。
私も、子育てをしながら「あそこの親はどうしてこんな当たり前のことがちゃんとわからないのだろう」とか、「うちは被害者なのに、、」なんて考えては、脳内にストレスを溜めまくっていたのです。
これは自分が「善人」で相手が「悪者」という考えがもとになっているのでしょう。
「お互い、子育てに悩む親同士」という広い心をもって、相手の「正義」にも耳を傾ける事ができたら、、それほどストレスを感じずに子育てができたかもしれません。
この事に今更ながら気が付けたことが、本当にうれしいです。
校長先生との一件は良い出来事ではないけれど、お蔭で一生ものの「気づき」に出会えました。
他の皆さんにはすでに当たり前のことかもしれませんね。
今日から「善人」ではなく「未熟者」で行こうと思います。
おかげで少し心の広い人間になれそうな気がしてきました。